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児童学コラム

アニメーションの“1秒”を考える

執筆者:甲斐聖子(教員ページへ
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テレビシリーズで馴染みの深いキャラクターが登場する劇場版アニメを映画館で観たとき、そのキャラクターが、普段よりもひときわ輝いて見える――そんな風に感じたことはありませんか。
そこにはいくつかの要因があります。環境面で言えば、映画館は一流の音響や大きなスクリーンを備え、緻密に設計された空間が、家での鑑賞とは異なる強い没入感を生み出します。

身近なテレビシリーズをひとつ思い浮かべてみてください。テレビでは、家や学校、公園といった生活空間を舞台に小さな困りごとが起こり、それを主人公たちが工夫しながら解決していく物語が描かれます。友情を少しずつ積み重ねていく、日常の延長にある世界です。
劇場版になると、舞台は深海や恐竜の時代、宇宙へと広がります。キャラクターたちは知恵を出し合い、大きな困難に立ち向かい、より深い絆を築いていきます。物語のスケールが広がるとともに、テーマもより複層的になります。

ここで、アニメーションの構造についても考えてみましょう。アニメーションは、一般に1秒間に24枚の絵をつなぎ合わせてつくられています。しかし、日本のテレビアニメでは、その24枚すべてを描くわけではありません。1枚の絵を3コマ分続けて映しながら動きをつくる、いわゆる3コマ打ちが基本です。つまり、1秒分を8枚前後の絵で構成する方法です。先人たちが限られた制作期間のなかで毎週物語を届けるために、工夫を重ねながら発展してきました。

一方、劇場版アニメでは、1秒間に使われる絵の枚数が増える場面が多くなります。12枚から24枚が用いられることもあり、絵の入れ替わりはより細かくなります。その結果、キャラクターの動きや表情、光や空間のニュアンスは、より繊細に表現されます。同じ1秒でも、そこに含まれる絵の数が違えば、私たちが受け取る情報の量も、画面の印象も変わります。
こうした制作方法は、日本のテレビアニメーションの大きな特徴でもあります。日本では、テレビアニメを中心にリミテッド・アニメーションが発展し、多くの作品が継続的に生み出されてきました。その積み重ねが、世界から注目される独自のアニメーション文化と産業を形づくってきました。

しかし、アニメーションの歴史はそれだけではありません。
イジー・トゥルンカ(チェコ)、ユーリ・ノルシュテイン(ロシア)、ラウル・セルヴェ(ベルギー)、カナダ国立映画制作庁(NFB)で活躍したノーマン・マクラーレンやアレクサンドル・アレクセイエフ、日本でいえば、岡本忠成や川本喜八郎ほか、実験的・芸術的なアニメーションの領域では、動かないものに命を吹き込むような、丁寧で探究的な制作が積み重ねられてきました。そこでは、枚数の多さ以上に、「動きとは何か」「時間とは何か」という問いそのものが追求されています。

テレビシリーズ、劇場映画、そして実験的なアニメーション。制作の文脈が異なれば、1秒で表現できることも変わります。
アニメーションの“1秒”を考えることは、技術を知ることにとどまりません。それは、時間や生命をどのように表現するのかという問いに触れることでもあります。