サイコロジカル・ファーストエイド
はじめに
皆さんは大学の教員,つまり学者にどのようなイメージをおもちですか?机に向かってひたすら勉強している姿を思い浮かべるかもしれません。もちろんそれも大切な仕事のひとつですが,実際には多くの教員はもっと活動的です。調査や実践,実験を行い,そこで得た知見を整理して論文や本にまとめ,社会に発信したり大学生に伝えたりしています。
カウンセラー
私の専門は臨床心理学です。皆さんが学校で出会うスクールカウンセラーの先生方も同じ学問領域の心理職です(ご存知でしたか?スクールカウンセラーは,多くの場合,公認心理師か臨床心理士で,どちらも大学院を修了しないと取得できない資格です)。こうしたカウンセラーは,教育だけでなく,福祉,医療,産業,司法などさまざまな分野で活躍しています。
大規模自然災害
今回はその中でも,大規模自然災害が起きたときの支援活動についてご紹介します。先ほど,大学教員は活動的だとお話したのですが,私たちも災害が起きると現地に赴き,滞在しながら「サイコロジカル・ファーストエイド」にあたるのです。直訳すると「心理的な応急手当」ですが,これは災害などの危機的状況に直面した人々に対して,初期段階で行う心理的支援のことです。医療的な治療ではなく,基本的なニーズへの対応・傾聴・適切な情報提供・安心感の提供などを通じて,心の負担を軽くしてもらうことが目的です。
被災地
このコラムを読んでくださっている高校生の皆さんが生まれた頃以降だけでも,東日本大震災(2011年),熊本地震(2016年),能登半島地震(2024年)などの大きな地震がいくつも発生しています。私たちは,これらの災害の現場で支援活動を行ってきました。皆さんの中にも,被災地で大変な思いをされた方もいらっしゃると思います。現地では,宿泊場所や移動手段,通信環境,食糧,そして洗濯やトイレなど,苦労しながらの活動になります。
子どもに現れる反応
発災直後,人々にはさまざまな心理的反応が現れます。たとえば,トラウマティックな体験の記憶が急によみがえる「侵入症状」,楽しいはずのことが楽しめなくなる「陰性気分」,体験が他人事のように感じられる「解離症状」,関係する話題を避けようとする「回避症状」,そして緊張や興奮が続く「覚醒症状」が現れます(「あっ!PTSDだ」と思われた方は鋭いですね。でも,すみません。これらはその前段階に現れる急性ストレス症(ASD)の症状です。専門の勉強は奥が深いですよね。)。小さい子どもには,赤ちゃんに戻ったように甘えたり,大人の不興を買ってしまう地震ごっこや津波ごっこなどの行動が見られることもあります。中高校生の場合は,勉強や部活動に集中できないなどの麻痺の反応が現れることもあります。
支援の方法
私たちは,子どもたちと遊戯療法の要素を含む遊びをしたり傾聴したりするだけでなく,組織的な支援も行います。たとえば,①学校の先生方にストレスやトラウマを理解してもらうための研修会,②子ども自身が心と体の反応の意味を知るための心理教育の授業,③アセスメントに基づいて支援が必要な子どもをリストアップし医療機関と連携する活動などです。
突然ですが最後に数学の話
このコラムでは,大規模自然災害に直面した子どもたちへの支援について,臨床心理学の視点からお話をしてきました。そして冒頭では,活動を通して得た知見を整理して発信しているとお伝えしました(覚えていましたか?)。子どもにどんな反応が現れるのか,どんな支援が有効なのかを分析したり証明したりするのも心理学の役割です(ちなみに,私の現在の研究テーマは,非線形回帰式を使って子どもたちのトラウマ反応の推移を予測することです)。そこで必要となるのが数学です(心理学は半分理系のようですね)。心は目に見えないものですから,数字を使ってその動きを捉えようとするのです。分散,相関係数,標本調査,区間推定,有意水準・・お気づきになりましたか?そう,高校の数学Ⅰ「データの分析」や数学B「統計的な推測」で学ぶ内容です。いまは,『何のために学んでいるのか分からない』と感じることがあるかもしれません。でも,その学びが,災害で傷ついた子どもたちを支える力になることもある。そんな可能性があることを,心の片隅に置いていただけたらと思います。
